山中静夫氏の尊厳死

わたしには、やっておきたいことがあるのです

  • 映画主題歌小椋佳『老いの願い』
  • 佐久市先行上映決定!
  • 2020年春 東京シネスイッチ銀座上映決定!

待望の映画化を記念して! 原作「山中静夫氏の尊厳死」復刊決定!!

解説

今を生きる…人は誰でも必ず死をむかえる。ある日突然、自らの最期が分かってしまった時、人はどうなるのか?誰もが平静ではいられないはず・・・。ジタバタするはず・・・。ある者は、やり残したことへの無念を感じ、またある者は、残される者たちの幸せを願い・・・

ここに末期癌を宣告された男がいます。男は自分の最期を迎えるために、ふる里に帰り、自らの墓を造りはじめるのです。
静かに、楽に死んでいくことだけを願って・・・。
そして、そんな患者を最期まで見守る一人の医師。職業柄人間の死を多く見過ぎた医師は、やがて自らもうつ病になりながらも、尊厳死とは何か?果たして人間の尊厳死はありえるのかを考えるのです。
毎日のように報道される凶悪な殺人事件。人間の死があまりにも軽く扱われることに慣れすぎてしまった人々。そんな中に自分もいることに気付く時、言い知れぬ恐怖を覚えます。
こんな時代だからこそ、命の尊さ、大切さをちゃんと考えてみるべきなのではないでしょうか?
そして、人間が死んで行くということが、どういうことなのかということを・・・。
小説家であり、医師でもある南木佳士氏の原作『山中静夫氏の尊厳死』を得て、人間が死んでいくことの意味、そして、最期まで生き抜くことの意味を、信州の山深い自然の中に問いたいと思います。

ストーリー

「私は肺癌なのです」
初診の場で、自分が癌であると口にした患者に出会うのは、医師の今井にとって初めての経験だった。
患者の名前は、山中静夫。自宅がある静岡の総合病院からの紹介で、今井のいる信州の総合病院にやって来たのだ。
紹介されてきた資料によれば山中さんは、腰の骨と肝臓に転移のある腺癌というタイプの肺癌で、明らかに末期の状態だった。予後は一ヶ月から三ヶ月の間と思われた。付き添う家族の負担を考え、今井は山中さんに今まで通り静岡の病院での再治療をすすめたのだが・・・、

「最期のところで、楽にするような薬を使ってもらえますか」今井の言葉をさえぎるように山中さんは続けた。
「どうせ死ぬんだったら生まれ育った信州の山を見ながら楽に死にたいと・・・」
それが、末期癌で余命を宣告された山中さんの最期の願いだったのだ。
山中さんは、さらに自分が動ける間は病院からの外出許可を求めて来た。
「生まれた村でやっておきたいことがありまして」
今井は、山中が自分のふる里で何をやろうとしているのか、まったく分からなかったが、決して無理はしないことと夕食までには必ず戻るという条件付きで許可を出した。

劇中画像1

今井も疲れていた。長年呼吸器内科を担当し、あまりにも多くの死んでいく人間を診すぎていたのだ。そしてついに今井は、うつ病になってしまう。
うつ病になりながらも、死んで行こうとしている山中さんの希望を叶えようと立ち向かうのだった。

やがて、毎日病院を抜け出している山中さんの目的は、ふる里の村の墓地に自分の墓を作っていたことが分る。
今井も、なんとか完成させてやりたいと思うようになっていた。
しかし、時間はない。最後の時は刻々と迫って来るのだ。そして山中さんは、穏やかに自然に死んで行ったのだ。
一人の医師として山中さんの尊厳死に立ち会った今井は、身も心も極度に疲労していたのだが、そんな中でも小さな明日への希望のようなものが見えていたのだった。

劇中画像2
劇中画像3

原作

南木佳士

南木佳士 プロフィール

1951年、浅間山北麓の群馬県嬬恋村生まれ。長野県佐久市在住。総合病院に内科医として勤めつつ、地道な創作活動を続ける。81年、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で『破水』の第53回文學界新人賞受賞を知る。89年『ダイヤモンドダスト』で第100回芥川賞受賞。08年『草すべり その他の短篇』で第36回泉鏡花文学賞、翌09年、第59回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他の著作に『阿弥陀堂だより』『医学生』『トラや』『生きてるかい?』『陽子の一日』『薬石としての本たち』『小屋を燃やす』等がある。

音楽

小椋佳 プロフィール

1944 年東京上野生まれ。1967 年東京大学卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)入行。同行に約四半世紀勤務、浜松支店長等を経て1993 年退職。1971 年初LP アルバム「青春・砂漠の少年」発表。以来、ソングライターとして「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「夢芝居」「愛しき日々」「愛燦燦」等、多数のアーティストへ作品提供。作詩 作曲・歌手活動の他、執筆活動や舞台創造も重ねる。2013 年遺言エッセイ「生前葬コンサート」出版、最後のオリジナルアルバム『闌(Takenawa)』リリース。2014 年NHK ホールにて4 日間(25 曲/1 日・計100 曲)に渡り『生前葬コンサート』開催。1998 年以降、歌と語らいで綴る公演「歌談の会」を、2010 年より「歌紡ぎの会」を全国各地にて公演中。

小椋佳

音楽監督 加藤武雄 プロフィール

1962年8月17日生まれ。長野県松本市出身。21歳よりプロミュージシャンとして活動。小泉今日子、セイントフォー、天宮良、酒井法子、BORO、上田正樹、倉橋ルイ、シンシア、狩人等、多数アーティストのステージサポートやアレンジ、レコーディング等に参加。1996年から小椋佳のサポートメンバーとして参加。レコーディング、アレンジ、楽曲提供を中心に活動中。上原多香子主演映画『恋谷橋(2011年)』、土屋貴子・なだぎ武主演映画『潜伏(2013年)』、ジャッキー・ウー監督映画『邂逅(2016年)』の音楽監督、映画『連合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)の主題歌『眦(まなじり)』の作曲、アレンジを手掛ける。

キャスト

中村梅雀

1955 年12 月12 日生まれ。東京都出身。屋号は成駒屋。祖父に三世中村翫右衛門、父に四世中村梅之助を持ち、1965 年9 歳のとき初代中村まなぶとして、初舞台を踏む。1980 年劇団前進座に入団。同年、曾祖父の名跡である中村梅雀を二代目として襲名。2007 年退団。その後は俳優として数々のドラマで主演を務め、映画、舞台、ナレーションなど多彩な活躍をみせており、文化庁芸術祭賞、ギャラクシー奨励賞など多数受賞。日本舞踊は先代吾妻徳穂の直門の師範名取。ピアニストだった母親の血筋を受け継いでベーシストとしてライブや作曲もこなすプロミュージシャンの一面も持つ。

中村梅雀

津田寛治

1965年生まれ、福井県出身。『ソナチネ』(93/北野武監督)で映画デビュー。以降、『模倣犯』(02/森田芳光監督)、『小さき勇者たちガメラ』(06/田崎竜太監督)、『Watch with Me 卒業写真』(07/瀬木直貴監督)、『人が人を愛する事のどうしようもなさ』(07/石井隆監督)、『トウキョウソナタ』(08/黒沢清監督)『シン・ゴジラ』(16/庵野秀明総監督)『名前』(18/戸田彬弘監督)、『ニワトリ★スター』(18/たなか雄一狼監督)、『空飛ぶタイヤ』(18/本木克英監督)、連続ドラマ EX『特捜9』、BS-TBS『水戸黄門』、NHK 『西郷どん』『ひよっこ』などに出演。また、自身の脚本・監督作『カタラズのまちで』(13)、『あのまちの夫婦』(18)が公開されるなど、多方面で活躍している。

津田寛治

高畑淳子

1954 年香川県生まれ。桐朋学園大学短期大学卒業後、青年座に入団。舞台女優としてデビューする。主な出演作品に、舞台「セイムタイム・ネクストイヤー」「越路吹雪物語」「ええから加減」「雪まろげ」、映画「釣りバカ日誌」「ALWAYS三丁目の夕日‘64」、テレビでは「3年B組金八先生」「昼顔」「ドクターX」「ナオミとカナコ」「隣の家族は青く見える」「坂の途中の家」、など舞台、映画、テレビで活躍している。NHK大河ドラマでは「毛利元就」「篤姫」に出演した。2013 年第20 回読売演劇大賞・最優秀女優賞、第38 回菊田一夫演劇賞・演劇大賞を受賞。2014 年には秋の叙勲にて「紫綬褒章」を受章した。2019 年4 月からの連続テレビ小説「なつぞら」に出演中。

高畑淳子

田中美里

1977年石川県生まれ。1997年、NHK連続テレビ小説『あぐり』のヒロインに抜擢されデビュー。その後、ドラマ・映画・舞台に多数出演。主な出演作に映画『みすゞ』『ゴジラxメガギラス G消滅作戦』、『能登の花ヨメ』、テレビドラマ『WITH LOVE』大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』、舞台では『かもめ』『梅咲きぬ』『高き彼物』『熱血!ブラバン少女。』などに出演。また韓流ドラマ『冬のソナタ』でチェ・ジウ演じるヒロイン、ユジンの吹き替えを務めたほか、柔らかく印象的な声を生かしてナレーターやラジオのパーソナリティーとしても活躍している。さらに今年の春、自身がプロデュースする帽子ブランド『ジンノビートシテカッシ』を立ち上げた。

田中美里

浅田美代子

1956年2月15日生まれ。東京都出身。街頭でスカウトされ、国民的テレビドラマ「時間ですよ」(73/TBS)の新人オーディション約25,000名の中から選ばれ芸能界入り。デビュー曲ともなったドラマ挿入歌「赤い風船」は第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。74年『あした輝く』(山根成之監督)で映画初主演を飾る。おもなドラマ出演作に、「寺内貫太郎一家」(74/TBS)、「101回目のプロポーズ」(91/CX)、NHK連続ドラマ小説「さくら」(02)、「花子とアン」(14)など多数。映画『釣りバカ日誌』シリーズ(94〜09)では15年間“ハマちゃん”こと主役の浜崎伝助(西田敏行)の愛妻・みち子を演じる。そのほかの映画出演作に、『佐賀のがばいばあちゃん』(06/倉内均監督)、『歓喜の歌』(08/松岡錠司監督)、『きな子〜見習い警察犬の物語〜』(10/小林義則監督)、『ツナグ』(12/平川雄一朗監督)、『0.5ミリ』(14/安藤桃子監督)、『あん』(15/河瀨直美監督)、『エリカ38』(19/日比遊一監督)などがある。

浅田美代子

石丸謙二郎

1953 年生まれ、大分県出身。1987 年、つかこうへい舞台『いつも心に太陽を』でデビュー。1987 年からは、テレビ朝日系『世界の車窓から』のナレーションで人気を博す。2018 年より、NHKラジオ『石丸謙二郎の山カフェ』のパーソナリティー。落ち着いたトーンの声質と渋みのある演技で、テレビ・舞台・映画と幅広く活動。プライベートでは多趣味なアウトドア派。ウインドサーフィン、登山、フリークライミング・スキー・釣りを趣味としている。

石丸謙二郎
  • 小澤雄太
  • 天野浩成
  • 中西良太
  • 増子倭文江
  • 大島蓉子
  • 大方斐紗子

プロダクションノート

《 監督・プロデューサー 》

監督とプロデューサーでの企画が3年前にスタートしました。私は、尊厳死?えっ死がテーマとちょっと引き気味な印象でした。物静かな監督と辛口なプロデューサーがいつも地味に打合せをしていました。
そんなに長い時間話すわけでもなく、熱く語ることもなく、不思議な打合せが何度か・・・あまり多くはなかったですね〜と月日が経ちまして、死がテーマではない作品に完成し、上映されることになりました。

《 音楽 》

この作品には、早い段階から小椋佳さんと言う念願がありました。お願いするためお話しに行きました。
作品の内容を説明、イメージ等を話すだけでも、ドキドキ、ワクワクしていました〜真逆の一つ返事でOK いただいた時には、嬉しくて嬉しくて・・・。劇場版も小椋さんチームに作曲していただいて、全体が一体化しMA 作業は、本当に胸が高鳴りました、これが映像と音楽の一体化なんだなぁと思いました。皆様に早くお届けして、劇場で感じてほしいです。

《 ロケ地 》

2018 年夏にはじめて、佐久市に初めて足を踏み入れました。佐久市は、時間がゆっくり流れているいるような感じでこの真夏の日差しが、心地良かったのを覚えています。佐久は、交通手段が車なので、人々をあまり見かけません。千曲川の流れの音、朝夕の山間から鳥の声〜撮影をしたいなと思いました。
いよいよ撮影!撮影中は、天気の神様が降りてきて天気に恵まれました。外での撮影では、町の人々が協力してくれるので、撮影中に注意することがほとんどありません、皆さん離れた場所からほのぼのと見学されてました キャスト・スタッフも心地よく撮影が出来たと喜んでいました。

ロケ地

《 医療 》

今まで、医療の映画ということになんとなく背を向けてきた方(私もそうです)必見です!イメージが変わります。佐久市は医療の町!病院が多いだけでなく医療施設、医師、看護師皆様が一体化しています。病院は全体的に病院関係者の方が明るいのです!そのせいか治るような気持ちになりますね!医師の方々と患者さんの距離が近いせいか安心感が生まれるように感じました。この映画撮影で、医師の方々から「この映画を通じて、病気を怖がらないでほしい」「前向きに一緒に治していく気持ちになってほしい」と言葉をいただきました。また、患者さんも「撮影中、先生の本だね?」とよく知っているよ〜と微笑んで色々な話しをてくれました、患者さんに愛されてます。

医療

《 W主演 》

中村梅雀と津田寛治さん、はじめて御一緒する時は、ワクワクとドキドキなんですが、梅雀さんは、とにかく愛らしい方です、劇中の「バイバイ」のシーンがそのままの梅雀さんです。

津田さんは、普段は、空気みたいな方、優しさ満載!役作りで、かなり痩せられて撮影の終盤の時に地元の方が美味しい差し入れを子供のように食べていたのが微笑ましかったです。言葉でなく行動で表現してくれるところが今回の作品の演技に映し出されているように思えてなりません。

《 キャスト 》

高畑淳子さん、面倒見が良くてすごく素敵なお母さん、地元の方の差し入れの漬物をスタッフにも食べやすように配ってくれました。ロケバス内は、家族になってました、そんな高畑淳子のあたたかさが「こちらこそ、ありがとうございました」の台詞に繋がりでジーンときます。

田中美里さん、なんて素敵な笑顔と声、女性というものは〜これですよというお手本になる女性!今回の作品を見て、誰でもこんな奥さんになりたいと思う田中美里さんが見れると思います。「ばちがあったんだわ〜絶対そうよ」あんな可愛い言い方は、美里さんしかできません。

浅田美代子さん、「あの子は、どこの子〜♪〜」曲が頭の中に流れてきました声が変わらないんです!ふぉんわりした雰囲気が、中村梅雀さんとのシーンは久しぶりに会った友達との嬉しさが優しくシーンに描かれています。ベストマッチングです。

石丸謙二郎さん、バイタリティーな方、撮影の合間に山登りなどを語ってくれる声が素敵で風景が浮かんでくるようでした、今回のキー浅間山に早速行かれたようです、今回の撮影で事務長さんとお話しすることが多く、石丸さんの役作りは、そのままの事務長さんになっていました。

小澤雄太さん、新任医師にぴったり!役柄もそうでしたが普段も熱く語る俳優さん、現場入りも明るく爽やかに「おはようございます」と入ってきます。シーンの中で津田さんに「先生!」と何度かあるのですが小澤さんが医師だったら、あんな感じなんだろうな〜と思わせる演技を見せてくれています。

天野浩成さん、正統派の美男子さん、毎日優しく甘い感じが最高に素敵。津田さんとのシーンでは、厳しく優しく語りかけているところは、見逃せません、好ご期待!

大方斐紗子さん、俳優さんの基本である健康管理が素晴らしい!おばあちゃんですと言ってはいけないほどに元気と笑いの演技は、みんな元気になりました。

大島蓉子さん、相変わらずの明るさと面白さは、演技も軽快です。こんな看護師さんがいたら、病室も明るく前向きなれるんだろうなと、意向以上の看護師さんを演じてくれています。

江澤良太くん、オーディションで発揮。可愛いのに今時のちょっと反抗期が自然に演技に繋がりました、今回はベテランさんばかりの現場なので、緊張しているようでしたが、中々の堂々した演技が良いのです。この現場、成長したのかなあと思われます。

《 エキストラ 》

エキストラの経験がほとんどない方々に出演していただきました。医療の作品のせいか、お医者さん、看護師さん、役所職員さん休みの日を使って出演してくれているのは、見どころの一つと言えます。今までにないような和気あいあいとした現場でした。みなさん、指示通り演技していただいて、本当にありがとうございます!

コメント

【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。

編集金子 尚樹

とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。

中村 梅雀

実直に死に向かおうとする山中静夫氏と自分がコワレそうになっても誠実に看取ろうとする津田寛治さん演じる医師の姿に静かな勇気をもらいました。

高畑 淳子

浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。

津田 寛治

「自らの死に方」を選ぶことは「自らの生き方」を選ぶことなんだと思いました。そしてその生き方を周りや家族が受け入れることは本人も気づかないくらいさりげなくて深い愛情で、そんな想いがいろんなところに静かに散りばめられている何回も観たくなる映画です。

田中 美里

尊厳死...人間が「人間としての尊厳」を保って死に挑むこと。私は「死」を目の前にして、このように目的を持って生きていけるのだろうか...迫り来る「死」と向き合えるだろうか...誰にでも来る「死」 医療の進歩によって自分の死期を知ることはいいのか、悪いのか...考えさせられる。

浅田 美代子

人は誰でもいつか必ず死を迎えることになる。歳を重ねるごとに自分がどんな形で死を迎えるのかを考えることも多くなる。そんな限りある命だからこそ、今を大切に一生懸命生きて行こうと思えるような映画になったと確信している。

監督・脚本村橋 明郎

ロケの合間に、病室から⾒える山に登ってみた。三⽅が峰、籠の登山、黒斑山、そして浅間山。山中静夫⽒のふるさとの浅間山群の頂から眺めると、病院はこじんまりとした街の一角に立っている。終のすみかの選択に、人の生涯の歩み方を教えられた。

石丸 謙二郎

仕事が無い撮影助手だった僕は女房をアオイスタジオのカフェでバイトさせていた。そこで駆け出しの津田寛治もバイトしていた。あれから40 数年、こうして寛ちゃん主役の、こんな立派な映画を撮れたこと、感動の極みです。初号試写のあと、抱き合って泣きました。

撮影監督髙間 賢治

【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。

編集金子 尚樹

とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。

中村 梅雀

実直に死に向かおうとする山中静夫氏と自分がコワレそうになっても誠実に看取ろうとする津田寛治さん演じる医師の姿に静かな勇気をもらいました。

高畑 淳子

浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。

津田 寛治

「自らの死に方」を選ぶことは「自らの生き方」を選ぶことなんだと思いました。そしてその生き方を周りや家族が受け入れることは本人も気づかないくらいさりげなくて深い愛情で、そんな想いがいろんなところに静かに散りばめられている何回も観たくなる映画です。

田中 美里

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【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。

編集 金子 尚樹

とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。

中村 梅雀

浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。

津田 寛治

実直に死に向かおうとする山中静夫氏と自分がコワレそうになっても誠実に看取ろうとする津田寛治さん演じる医師の姿に静かな勇気をもらいました。

高畑 淳子

「自らの死に方」を選ぶことは「自らの生き方」を選ぶことなんだと思いました。そしてその生き方を周りや家族が受け入れることは本人も気づかないくらいさりげなくて深い愛情で、そんな想いがいろんなところに静かに散りばめられている何回も観たくなる映画です。

田中 美里

尊厳死...人間が「人間としての尊厳」を保って死に挑むこと。私は「死」を目の前にして、このように目的を持って生きていけるのだろうか...迫り来る「死」と向き合えるだろうか...誰にでも来る「死」 医療の進歩によって自分の死期を知ることはいいのか、悪いのか...考えさせられる。

浅田 美代子

ロケの合間に、病室から⾒える山に登ってみた。三⽅が峰、籠の登山、黒斑山、そして浅間山。山中静夫⽒のふるさとの浅間山群の頂から眺めると、病院はこじんまりとした街の一角に立っている。終のすみかの選択に、人の生涯の歩み方を教えられた。

石丸 謙二郎

人は誰でもいつか必ず死を迎えることになる。歳を重ねるごとに自分がどんな形で死を迎えるのかを考えることも多くなる。そんな限りある命だからこそ、今を大切に一生懸命生きて行こうと思えるような映画になったと確信している。

監督・脚本 村橋 明郎

仕事が無い撮影助手だった僕は女房をアオイスタジオのカフェでバイトさせていた。そこで駆け出しの津田寛治もバイトしていた。あれから40 数年、こうして寛ちゃん主役の、こんな立派な映画を撮れたこと、感動の極みです。初号試写のあと、抱き合って泣きました。

撮影監督 髙間 賢治

【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。

編集 金子 尚樹

とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。

中村 梅雀

浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。

津田 寛治

スタッフ

監督・脚本 村橋明郎

1954 年7 月6 日、岐阜県関市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、フリーの助監督を経て、1987 年、フジテレビ、スペシャルドラマ『オレゴンから愛’87』で助監督兼任にて脚本デビュー。1992 年『豆腐屋直次郎の裏の顔』(ABC)で監督デビュー。1996 年『CAB』(近代映画協会)にて初の劇場用映画監督。その後、映画、 テレビドラマ、舞台、PV など幅広く脚本、監督作品を手掛けている。劇場公開作品としては他に、『しあわせになろうね』’98、『育子からの手紙』’10、『BANK』(自主製作)’12、『ある取り調べ』(自主製作)’15 がある。

監督・脚本 村橋明郎

撮影監督 髙間賢治

1949 年東京都生まれ。東京都立大学経済学部在学中から若松プロで撮影助手を始め、76 年CM カメラマンとして独立。79 年『月山』 で劇映画デビュー。81 年文化庁在外研修員として渡米、ジョン・アロンゾ、ジョン・オルコット、ゴードン・ウィリス、ヴィルモス・ スィグモンド、オーウェン・ロイズマンに撮影技術を学ぶ。帰国後、 『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』『1999 年の夏休み』『12 人の優しい日本人』『ラヂオの時間』『ナビィの恋』『デスノートthe Lastname』『春との旅』『JAZZ 爺MEN』『一粒の麦 荻野吟子の生涯』 などを撮影。「マスターズ・オブ・ライト」「撮影監督ってなんだ?」 「シーナ映画とコーキ映画」「髙間賢治の映画撮影記」を出版。

編集 金子尚樹

1958年東京生まれ。多数の映画、テレビドラマの編集を手 掛けている。浦岡敬一を師と仰ぎ編集集団エディターズノア を立ち上げに参加。人材育成にも力を注ぐ。有限会社フィル ムクラフト代表。
2006年、編集を担当した、バッシングで日本映画テレビ技 術協会 第6回映像技術賞・映像技術奨励賞を受賞。2010年 には、編集を担当した春との旅で、第20回日本映画批評家 大賞・編集賞(浦岡敬一賞)を受賞。
主な編集作品は、『バッシング』’05 監督 小林政広、『休暇』’07 監督 門井肇、『春との旅』’09 監督 小林政広、『ホペイロの憂鬱』’18 監督 加治屋彰人。

劇場・ホール

  • 2019年9月 先行上映!

    佐久アムシネマ
  • 2020年春 上映開始!

    シネスイッチ銀座

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